・背子の変化したもの背子
・腰丈で、袵のない垂領で、袖が一幅枕草子「からぎぬは短き衣とこそいはめ、されどそれは、もろこし人のきるものなれば」
・前身にくらべて後ろ身が短い井筒さんの説では長くしていますね。年中行事絵巻を見てのことだろうと推測しますが
他の絵巻では長く見えないような。ずり下げて着ているから長く見えるような。
実際に再現して見られればいいのですが、金も技術もないので、先になりそうです。
高田装束研究所さんでは、袖の切り込みを入れずに後ろ身を長くしていますね。
これではずり下げて着られないと思うし、動きにくすぎると思うので、私はこれは違うと思います。
いろいろ説があって謎なのでもっと調べてみたいと思います。
・着用に襟を折り返す襟の話ですが、私は画像で勝手に髪置きを無くしてみました。
源氏物語絵巻が傷んで髪が剥げている部分の下に、唐衣の襟が見えます。
絵巻物は、こういう風に髪置きが書かれていません。御神宝にもありませんでした。
ですので、髪置きを無くしてみました。
襟を折り返すことを返領といいます。
・胸に紐をつける場合がある江戸時代の雛人形にこのようなものがあります。
このような感じだったと思います。
装飾目的もあったと思いますが、
女官や下仕は労働するときに結ぶことがありました。
健御前日記の正月装束に「若きは唐衣に紐つけ、花結びなどしたるも見えき」
長秋記417、七月節会の賀表を舁く女官が「唐衣中結す」
・晴れの場合に、三重五重の袷仕立てにする場合があるこれは捻り重ねのことでしょうか。だれか教えてくださいお願いします。
もしそうなのでしたら、これが中倍の元になったのかなと思いました。
・摺染・描絵・繍で装飾摺染は版画のような染めの方法ですね。
描絵は手で描いていたのでしょうか。
ここでのの繍は刺繍のことでしょう。
・晴れの場合に、袖口等に金銀の箔、金銀ののべ板を張り付けたり、螺鈿などを縫いつけたりしたこれは全く想像がつかなかったのですが、時代祭りでこんなものを見つけました。
こんなかんじでしょうか。(矢印)
置口と言ったり、風流装束と言ったりします。
・地質は一定しない二陪織物・浮織物・綾・錦・平絹等様々でした。
禁色を許された人は、織物を使えました。
錦は、平氏政権の時代の晴れの場合に使われることがありました。
羅は、11世紀中にしばしば使われました。
裏地についてはよく分かっていません。
・色、模様ともに不定禁色を許された人だけ、赤、青を使えましたが、五節には下仕も使えました。
青は青白橡で、紫根と刈安を混ぜた染色と、縦青(黄緑)・緯黄の織色がありました。
赤は蘇芳など、赤系の濃染で、茜染めの染色と、経紫・緯緋の織色がありました。
青白橡
濃蘇芳
[3回]
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