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【2018/02/24 19:06 】 |
フェイスブックより
2014年5月15日 ·
我が家には、こんなゴージャスな表紙の本がございまして…
絵馬務さん著です。
有職とはいえませんが・・・
庶民生活の生き生きとした文様が載っております。
先ほど塗った絵の柄も載っておりました。
私の好きな本の一つです。


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【2015/10/07 15:56 】 | 平安時代女性の服装 | コメント(0)
フェイスブックより
2014年5月15日
ぬりえを作りました


色を塗りました。
今回の絵で、年寄りでなくても白い切袴を履いていた・カザミにもおしゃれで袖括をつけることがあった・縹色のかさね色目も普通にあったということがわかりました。扇面法華経冊子より

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【2015/10/07 15:52 】 | 平安時代女性の服装 | コメント(0)
平安時代の裳


・裙の変化したもの



・背面のみを覆う
衣を厚く重ね、その裾を拡げる習慣を生じたのが原因だと言われています。
従って、衣服を多く重ねない身分の低い人々には、旧来の裳が用いられていました。

・通常は八幅・単で、一筋の幅3~4寸近い固い襞をつくる
他には、正倉院蔵品中に、三筋づつ寄せた技巧的なものがあるそうです。

・院政期以後には、大腰・引腰・小腰の三部分にわかれた
もとは、一本の腰であったのを、その結び余りをたれて装飾としていました。
平安時代には、引腰のことを裙帯と呼んでいました。

玉葉文治 任子入内の御裳着の記事には「引腰を以て之を結ぶ、小腰なきは先例也」とあります。(儀式の古様)

・労役に服す下仕や雑仕は、裳を壺とることがある
裳の前の褄をおり、腰にはさむか結ぶかするらしいです。
だれか詳しく教えてくださいおねがいします。

・左右に頒幅があった
裙の名残です。
高位の人が用いたもので、この場合十幅になります。
雅亮装束抄に「もには、あがちのといひて、うらうへにみじかきのあり、しもづかひのにはなし」
纐纈の裳と言います。


・晴れの場合は風流を付けた
腰に玉を縫いつける事は広く行われました。
そうでなくても、繍(刺繍のことかな)、表差(通ってる紐のことかな)は必ず施しました。
箔押・象嵌・結び紐飾りなども付けられました。

復元源氏物語絵巻にある引腰の装飾
現代と違っていたので書き出してみました。


もう少し風流のところを掘り下げたいのですけど読みたい本を手に入れられないので保留です

・地質
織物・縑・紗・綾・薄物・平絹など様々ですが、
羅が使われることが多いようです。
冬に綾など、夏に薄物・縑などを使うのが普通です。
腰には織物、錦など、より貴重な地質をあてることを許されており、
大腰と引腰には二陪織物・綾・平絹等を用いました。
大腰と引腰が同裂で小腰が別裂であるのが普通でした。
小腰は平絹を用いました。

・色、模様
綾や薄物は三重襷や青海波という模様が多いようです。
三重襷

青海波

復元源氏物語絵巻の海賦文

身分ある人では、白或いは薄色が多く、
白地に摺・描絵・繍などで写生的な模様を作りました。
南北朝時代の海賦裳リンク
摺文様には海賦文様や吉兆文様などがありました。
摺文様を加えた裳を地摺の裳といい、禁色でした。
目染・纐纈・末濃もありました。
末濃は上の画像
裳と腰とは同色のことも異色のこともあり、異色の場合には白腰が多いようです。
引腰は表差、緂染めにすることがありました。
大腰・引腰には窠に霰が多いようです。
窠に霰

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【2010/04/07 12:06 】 | 平安時代女性の服装 | コメント(0) | トラックバック(0)
平安時代の唐衣


・背子の変化したもの
背子


・腰丈で、袵のない垂領で、袖が一幅
枕草子「からぎぬは短き衣とこそいはめ、されどそれは、もろこし人のきるものなれば」

・前身にくらべて後ろ身が短い
井筒さんの説では長くしていますね。年中行事絵巻を見てのことだろうと推測しますが
他の絵巻では長く見えないような。ずり下げて着ているから長く見えるような。
実際に再現して見られればいいのですが、金も技術もないので、先になりそうです。
高田装束研究所さんでは、袖の切り込みを入れずに後ろ身を長くしていますね。
これではずり下げて着られないと思うし、動きにくすぎると思うので、私はこれは違うと思います。
いろいろ説があって謎なのでもっと調べてみたいと思います。

・着用に襟を折り返す
襟の話ですが、私は画像で勝手に髪置きを無くしてみました。
源氏物語絵巻が傷んで髪が剥げている部分の下に、唐衣の襟が見えます。

絵巻物は、こういう風に髪置きが書かれていません。御神宝にもありませんでした。
ですので、髪置きを無くしてみました。

襟を折り返すことを返領といいます。

・胸に紐をつける場合がある
江戸時代の雛人形にこのようなものがあります。

このような感じだったと思います。
装飾目的もあったと思いますが、
女官や下仕は労働するときに結ぶことがありました。

健御前日記の正月装束に「若きは唐衣に紐つけ、花結びなどしたるも見えき」
長秋記417、七月節会の賀表を舁く女官が「唐衣中結す」

・晴れの場合に、三重五重の袷仕立てにする場合がある
これは捻り重ねのことでしょうか。だれか教えてくださいお願いします。
もしそうなのでしたら、これが中倍の元になったのかなと思いました。

・摺染・描絵・繍で装飾
摺染は版画のような染めの方法ですね。
描絵は手で描いていたのでしょうか。
ここでのの繍は刺繍のことでしょう。

・晴れの場合に、袖口等に金銀の箔、金銀ののべ板を張り付けたり、螺鈿などを縫いつけたりした
これは全く想像がつかなかったのですが、時代祭りでこんなものを見つけました。

こんなかんじでしょうか。(矢印)

置口と言ったり、風流装束と言ったりします。

・地質は一定しない
二陪織物・浮織物・綾・錦・平絹等様々でした。
禁色を許された人は、織物を使えました。
錦は、平氏政権の時代の晴れの場合に使われることがありました。
羅は、11世紀中にしばしば使われました。
裏地についてはよく分かっていません。

・色、模様ともに不定
禁色を許された人だけ、赤、青を使えましたが、五節には下仕も使えました。
青は青白橡で、紫根と刈安を混ぜた染色と、縦青(黄緑)・緯黄の織色がありました。
赤は蘇芳など、赤系の濃染で、茜染めの染色と、経紫・緯緋の織色がありました。
青白橡

濃蘇芳

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【2010/03/24 21:11 】 | 平安時代女性の服装 | コメント(2) | トラックバック(0)
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