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【2024/04/27 06:17 】 |
平安時代の裳


・裙の変化したもの



・背面のみを覆う
衣を厚く重ね、その裾を拡げる習慣を生じたのが原因だと言われています。
従って、衣服を多く重ねない身分の低い人々には、旧来の裳が用いられていました。

・通常は八幅・単で、一筋の幅3~4寸近い固い襞をつくる
他には、正倉院蔵品中に、三筋づつ寄せた技巧的なものがあるそうです。

・院政期以後には、大腰・引腰・小腰の三部分にわかれた
もとは、一本の腰であったのを、その結び余りをたれて装飾としていました。
平安時代には、引腰のことを裙帯と呼んでいました。

玉葉文治 任子入内の御裳着の記事には「引腰を以て之を結ぶ、小腰なきは先例也」とあります。(儀式の古様)

・労役に服す下仕や雑仕は、裳を壺とることがある
裳の前の褄をおり、腰にはさむか結ぶかするらしいです。
だれか詳しく教えてくださいおねがいします。

・左右に頒幅があった
裙の名残です。
高位の人が用いたもので、この場合十幅になります。
雅亮装束抄に「もには、あがちのといひて、うらうへにみじかきのあり、しもづかひのにはなし」
纐纈の裳と言います。


・晴れの場合は風流を付けた
腰に玉を縫いつける事は広く行われました。
そうでなくても、繍(刺繍のことかな)、表差(通ってる紐のことかな)は必ず施しました。
箔押・象嵌・結び紐飾りなども付けられました。

復元源氏物語絵巻にある引腰の装飾
現代と違っていたので書き出してみました。


もう少し風流のところを掘り下げたいのですけど読みたい本を手に入れられないので保留です

・地質
織物・縑・紗・綾・薄物・平絹など様々ですが、
羅が使われることが多いようです。
冬に綾など、夏に薄物・縑などを使うのが普通です。
腰には織物、錦など、より貴重な地質をあてることを許されており、
大腰と引腰には二陪織物・綾・平絹等を用いました。
大腰と引腰が同裂で小腰が別裂であるのが普通でした。
小腰は平絹を用いました。

・色、模様
綾や薄物は三重襷や青海波という模様が多いようです。
三重襷

青海波

復元源氏物語絵巻の海賦文

身分ある人では、白或いは薄色が多く、
白地に摺・描絵・繍などで写生的な模様を作りました。
南北朝時代の海賦裳リンク
摺文様には海賦文様や吉兆文様などがありました。
摺文様を加えた裳を地摺の裳といい、禁色でした。
目染・纐纈・末濃もありました。
末濃は上の画像
裳と腰とは同色のことも異色のこともあり、異色の場合には白腰が多いようです。
引腰は表差、緂染めにすることがありました。
大腰・引腰には窠に霰が多いようです。
窠に霰

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【2010/04/07 12:06 】 | 平安時代女性の服装 | コメント(0) | トラックバック()
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